My way 〜けい水産誕生までの道のり〜



屋久島漁協市場から、トビウオなどの地獲れの魚を仕入れ、その魚で燻製の製造と販売を行う、「けい水産」を創業した私ですが、実は私自身が、こんな自分の今にびっくりしています。

私は大阪の大学に行ったのですが、卒業時になっても、自分がどんな仕事がしたいか分からず、そのままフリーターをしました。

そして旅行が好きになり、バックパッカーで海外に行き、そして屋久島に来たのが27歳の時でした。

屋久島でも、就職は考えなかったので、日雇いの仕事で農家や草刈りの手伝いをしていました。
そんな中、屋久島では昔からトビウオ漁が盛んで、二隻の船を使い、4〜5人で漁をする、船長ではない、乗り子(乗組員)という関わり方があることに興味を持ちました。

船がなくても、体ひとつで漁師の仲間入りができるならやってみたいなって。

こうして、トビウオ漁船の乗り子となりました。

はじめは船酔い続きでしたが続けていくと、毎日魚がもらえる♪大漁するとガッツポーズ!大もうけ!とハイテンションになる♪♪海が荒れたらお休み〜♪♪♪という、魚次第、海次第な生活。
収入も不安定だけど、不思議と暮らしていける、この屋久島の田舎暮らし、乗り子暮らしはとても楽しい毎日でした。
それまで他の仕事は長く続かなかったのですが、トビウオ漁は何年も続けることが出来ました。

そして魚のさばき方を先輩漁師から教わり、毎日刺身を食べ、干物やすり身も作り始めると、もっと保存できる「燻製」作りに興味が湧きました。

まずは作ってみた所、くん煙の火力が分からず、黒焦げにしたり、干そうと置いた魚を猫に取られたりと、失敗だらけでした。

けれど、だんだん上手に作れるようになり、人にあげると美味しいと喜んでもらえるようになり、物作りの喜びに目覚めた気がしました。そして燻製作りが、日課になってきました。


そんな時、けがをしてしまい、膝の骨がくっつく迄、1年は船に乗れない状況になってしまいました。
これからどうやって食べていこう?膝はちゃんと治るだろうか?
仕事はどうしよう?と次々と不安が押し寄せてきました。

そこで、改めて、「これからどうしたいのか?」と真剣に考えたとき、けがをして、多くの方に心配をかけてしまっているが、しっかり治して、元気に漁師に復活して安心してもらいたいと思いました。
それで、膝を治す一年間、食いつなごうと思って、魚の燻製を販売しようと決めたのです。

そしてあっという間に1年が過ぎましたが、全然形になっていませんでした。
漁にも戻りたいのですが、このまま中途半端に終わらせたくない。
どうしたいのか悩みました。

トビウオを獲るのは最も大事ですが、トビウオを加工し、多くの方々に食べてもらう事も大事だと感じ始めていました。

そして自分の手掛けた物が喜ばれる充実感も知り、燻製を作って、トビウオの美味しさをもっと広めたい、またお世話になった方々、心配をかけた方々へ食べて頂きたい、こうする事で、移住した屋久島・受け入れてくれた漁業・お世話になった島の方々への御礼が出来るなら、これが自分のやりたい事だ!と思い、魚の燻製の製造販売をすること一本でやっていく事に決めました。

やりたいことを見つけられなかった自分が、起業するなんて思ってもみませんでしたが、「くんせい屋 けい水産」はこうして誕生したのです。